Nスペ、ニッポン空き家列島を見た。

今日は空き家の話。

2歳の子どもがいるので住宅購入には興味があります。

しかし、けっこうな人がすでに忘れているかもしれませんが、3年前に震災を経験していますし、産業が移り変わることもデトロイト市のニュースなどで知っていますし、そもそも僕自身、実家にいたのが5~18歳までのたった13年間だけなので、一箇所に30年ローンを組むリスクがおそろしくて仕方ありません。

そこで目をつけたのが、最近の社会問題として話題の空き家。
ネットなどである程度調べていました。

番組の内容を列挙すると、
・空き家を生む歴史的、政策的背景、とくにアホ(とは言ってませんが、明らかにアホ)な税制について。
・新築数はそれほど変わっていない。
・各自治体で人口の奪い合いをしている。
・郊外に広げるとインフラ整備が大変。
・中心部は空洞化し、治安が悪くなる。
・人がバラけると、介護サービスがカバーできなくなる。

といった内容で、やはりテレビなのであっさりしていて、とくに新しい情報は得られませんでした。

しかし、そこに出ていた出演者の方々、官僚、学者、地方公務員、芸能人、農家、無職高齢者、若い人、その他いろいろ一般人の発言は興味深かったです。

多くの一般の出演者はこういった問題に対し、「確かに問題だ、なんとかしないと」という立場でした。
そりゃそうでしょう。
 
僕がムカッときたのは、官僚(国土交通省)の発言。
「人々のニーズなんだから、郊外に住むのは止められないでしょう」

これがどうして頭にくるかといいますと、空き家問題の予備知識がないとちょっと説明が長くなります。

・どんなにオンボロで使用不可な建物でも、建っていれば資産税は安い。取り壊して更地にすると6倍になる→土地の再利用が回らない
・ 新築には補助金がつく。
・新しい橋や道路などのインフラ整備は公共事業として国から助成がある。修繕よりも地方自治体の負担は少ない。

これらの要素を総合すると、だいたいわかりますよね。
建て替え、住み替えではなく、宅地は外へ外へと拡大していきます。
番組の中で識者が「焼き畑的開発」と呼んでいました。
うまいこといいますね。

郊外に住むのは自由です。
問題は、それらインフラ整備費や補助金は、新築購入とは関係のない人々の税金だということです。
政策による明らかなインセンティブ(誘導)があるにも関わらず、政策を作る側の官僚が「ニーズだから仕方ない」というのは、今の流れを変えたくないと考えているのでしょう。

税金の流れは変えたくない、ということです。

まったく頭にくる話ですが、官僚がそういう考えならしばらく空き家問題は続くでしょうから、おそらく空き家の価格はもっと下がると思われます。

それにしても出演している一般人は、無駄な公共事業には多分反対するはずなのに、どうしてこういうところに寛容なのか不思議でたまりません。




 焼き畑的開発のほうが国からの補助があって地方自治体には楽だといっても、長い目で見ればそこだって修繕が必要な古い宅地になってしまいます。

自民党お得意のバラマキ公共事業で道路や水道がなんとかなるにしても、医療や介護など人的インフラはどうにもなりません。

いつまでも焼き畑を続けるわけに行きません。

そこで富山市は、国土交通省官僚とは反対の政策を実行しています。
どういうものかというと、市の中心部に移り住むように誘導しているわけです。

この取り組みに対して、一般の出演者の反応は興味深いものでした。

多くの人が、否定的な発言をするのです。
「住み慣れた土地で住みたい」
「農業ができなくなる」
「 引っ越してボケる老人が多くいる」

といった感じなのですが、一般出演者のこれらの発言は上記の空き家問題における発言と矛盾するだけでなく、そもそもそこに住むことは自由であるという当たり前の前提を無視して発言し続けているのです。

市の中心部への誘導といっても、もちろん郊外だろうがどこに住むのも自由で、憲法で保証されています。
しかしここで問題にしているのは、無医村がそうであるように「無いものは無い、そういう時代が来ますよ、さあどうするの」という話をしているのです。

これだけ丁寧に番組を進めているのに、問題の本質とは違うところで発言を繰り返す人々の姿をまざまざと見せつけられました。

これってなんなんでしょう。
税金の流れがわかりにくいからでしょうか。
とくに国債の発行額が予算の半分を占めるようになると、それは将来の誰かの財布のカネであり、自分の財布のカネがあの水道を作っているというのが見えにくくなります。
問題を問題として意識させない仕組みであると言え、先の衆院選の低投票率にも関係しているかもしれません。

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