石巻、奥松島、野蒜に行ってきた

 子どもが小さいし、そもそも僕が人混み嫌いなのでできれば読書でもして過ごしたいのだけれど、さすがに陽に当たらなすぎて腐るんじゃないかと思って久しぶりに石巻に。

なぜかあえての石巻イオン。
石巻イオンは沿岸からはかなり離れたところにあります。



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石巻河南インターチェンジを降りてすぐ。

1階食品売り場は平日の午前かと思うくらいのまばら具合のに対して、2階は子ども連れで溢れていていました。

うちの1歳0ヶ月の子どもは他人の子どもを見ると興奮するので、やたらとテンションが高くて、終始手を降ったり手を叩いたり叫んだりしていました。

駐車場の車は、2年前にボランティアをしていた頃のような他県のナンバーが溢れている状況ではなく、地元の宮城ナンバーが中心。
本当に人口の大きな移動がこの辺りを中心に起こったんだなと。

この辺は仙台の内陸と同じように、まったく津波があった感じがしません。

今回は津波で沿岸部から内陸へという災害からの人の移動でしたが、やはり産業のないところからあるところ、産業のおこるところに人が移動するのは当然のことで、それを無理に沿岸部に住まわせるというのはどれだけ復興予算を積んでも難しいんじゃないかと感じています。

個人的な意見ではあるけれど、人は人に必要とされる場所で生きていくほうが幸せである場合が多いと思っていて、産業の移り変わりがこれまでのようなゆっくりとした時代では、結果として同じ土地に住み続けることになって、それがいわゆる地元志向ということだと思っています。

産業は人を必要としますからね。

そして産業は時代や災害によって移り変わり、というか移り変わらなければいけません。
他国とは常に競争関係にあるという原理原則があるからです。

・・・そういう話はツイッターでしますからここでは深く書きませんが。




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子どもがイオンで興奮しすぎてエライことになってきたので、海でも見ようかと思って野蒜海岸へ。

が、数kmにわたって防潮堤があって海が見えないw


  なのでそのまま奥松島まで行きました。
 2年前に奥松島の写真を撮りに行ったとき以来です。

当時は工事関係の特殊車両が95%で、乗用車は業者のプロボックスと僕の古いプリウスくらいでしたが、砂利道はすっかりキレイに舗装されて、結構頻繁に車の往来がありました。

相変わらず建物はなく、ただの原っぱ状態でしたけれど。


 元の波止場は地盤沈下で海面下にあり、黒い土嚢や鉄板で嵩上げしている様子がわかります。

これについてもいろいろ思うところはあるのですが、まあ確かに沈んじゃってますねという事実確認だけ。

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