2012/03/11

1年が経ちましたね

1年前の3/11の夜。
思ったよりもずっと静かな夜になりました。
医療センターは正面玄関を封鎖して、水や車椅子などの物資をそこに並べ、 救急治療室だけでなく、1階にあるリハビリ室なども治療ができるようにして、患者さんが運ばれてくるのを待ってました。
松本サリン事件ような惨劇を覚悟していましたが、救急車はポツリポツリという感じ。
道がないわけで、救助以前の状態だったんですね。
一晩徹夜して対応にあたり、朝9時に無力感いっぱいで帰宅しました。


実は2日前に震度5を体験していたので、3/11に揺れ始めた時もすぐに震度5レベルだと分かりました。それが30秒ほど続き、おさまりかけたように思えた瞬間、震度7の縦揺れに跳ね上がった感じ。

僕は歩けない患者さんと一緒だったので、患者さんが車椅子からずり落ちないように支えていましたが、震度7になるともはや自分が立ってられないレベル。
手すりに捕まろうとすると、ピキピキピキとヒビが入っていくのが見え、天井が割れて落ちてきました。
古い病院の5階だったので、ニュージーの地震のような倒壊もよぎりました。

それは自然現象なのでしょうがないとして、問題は収まったあとにありました。
火災警報が鳴り、火の手が上がったという録音音声による放送がありました。

天井はバラバラ落ち、水管が破裂して水浸し。
もちろんエレベーターは全て停まっています。

それで5階、6階の患者さんをシーツにくるんで、4,5人でそれを持ち、非常階段を降りて外の体育館まで運びました。
何往復したかわかりませんが、体育大の部活の時のように吐気がするくらい往復しました。
ちなみに人工呼吸器は外すことができないので、そういう患者さんはそこに残すしかありません。
消火がうまくいくことを祈るしかないわけです。

・・・で、結局火事はなかった。

患者さんを移動させるのはかなりリスクの高いことなんですが(しかも雪の屋外)、あの誤報はなんだったんですかね。

すくなくとも僕が病院を辞めるまで、震災対応のサマリーは色々出ましたが、そのことについての検証報告はありまあせんでした。
かといって、ヒラ職員である僕が「検証しろ」を声を高々にあげるわけにもいきません。

日本の大きな組織にいる人はみんな分かっていると思いますが、自浄作用や自己検証というものはものすごく難しいことです。
僕がいた病院で僕が知っているドクターやナースは、全て自己犠牲ができる人達でしたが、そういう構成員の人格の良し悪しと、巨大組織の自浄作用・自己検証はあまり関係がないんだなと、経験レベルですがそう思います。

そういう組織にいたので、震災後の日本の原発の成り立ちに関する番組を見ても、これまで世界で20年に1度くらいのペースで事故が起こってきたのは必然だったんだなという感想しかもてません。
事故調査委員の発表を見ても、それはみんな分かってるけど、そうはいっても巨大組織の中では誰も動けないんだよというのが自分の思うところです。

だからといって100%原発反対かというと、それはわかりません。
僕は市場原理、自由経済が好きだからです。

最近は日本の貿易赤字が発電用の原油輸入にあることから原発推進を唱える人がいますが、それは経済を机上の理論でコントロールできると過信しているか、電気はお上が作るものという固定概念から抜け出せない意見と言わざるを得ません。

要するに、今の原発構造において原発推進・反対を明確に答える人は、NTTより電電公社、JRより国鉄、それを政治でコントロールする方が経済的に優れていると言ってるようなものです。

経済面から原発の是非を唱えるなら、それは市場に任せてみないと分からないというのが答えです。

市場というのは大体合理的ですが、机上ほどは合理的ではありません。
そこには国民感情があり、ブームがあり、私利私欲があり、大人の事情があり、株のチャートを見れば分かるように正解を求めて行ったり来たりしますが、政治ほどは大きく逸脱せずに落ち着くところに落ち着くものです。 
そういう市場で競争して原発が残れば原発なのでしょう。
それなら全然文句はありません。


全国の釣り人からウェーダーを頂いて、ボランティアをしたことも書こうと思いましたが長くなったのでこの辺で。

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