2015/01/28

審判が神聖である理由

白鵬が判定の不服をしたことに対して、相撲協会やメディアから批判が出ている。

「行事は神聖なもの」というのが白鳳批判の理由だ。

審判が絶対であるのは、局面においては判定によって有利不利があるが、大局的に見れば、選手にもその対戦相手に限らず、興行者や観客といった業界全体にとってもそのほうが合理的であるからだ。

判定に究極的な正確性を求めるよりも、イベントをスムーズに運ばせる方が、より大勢の人がハッピーだということだ。
そのために審判に絶対的な権限を渡し、神格化という精神論で強化したことが、よく言われる「審判の判定は絶対です」の背景だ。

ビデオやセンサーなどスムーズで正確な判定ができるテクノロジーが江戸時代からあれば、そもそも判定に関して行事は神聖化されなかっただろうと思う。

もしろん、イベント運びをするMCとしての絶対権限は変わらない。

白鳳は、その場では文句を言わなかった。
文句をいうと観客がアンハッピーになるからだ。
もしややこしくなって時間が伸びれば放送関係者や視聴者もアンハッピーになる。

そういった背景を踏まえて、翌日の白鵬が何に不服を言っているかというと、「協会も審判員も、もっとプロの仕事をしてくれ」ということだろう。

白鳳は「命をかけてやっているんだから」とコメントしていた。
土俵際で組みながら倒れることはよく見られる光景だが、怪我と隣合わせであることを忘れてはいけない。
力士たちは言葉通り力士生「命」をかけてやっている。

プロの仕事をして下さい。

さらに相撲の未来にも影響がある。
相撲協会の「行事の判定は神聖なもの」発言は、新しいシステムがあるにも関わらず「古い体質を守りたい、今の立場を守りたい」という印象を与えるだろうと思う。
本人たちはそういうつもりじゃないと否定するだろうが、本人たちの「つもり」は関係ない。  
  
相撲が盛り上がるためには、身体能力の高い子どもを、野球やサッカーから奪い取るくらいの気持ちでやっていく必要がある。
協会の年寄りたちは、自分たちの判断や発言が、子どもたちにどう受け取られるか、もう少し考えた方がいい。
広告代理店などの外部の力を借りてもいいくらいだ。

あとメディアも、もう少しスポーツを勉強して下さい。(多分、新聞を読むのが年寄りだけだからそういう協会寄りの記事なるんだと思いますが)


2015/01/26

アジアカップ敗戦から

 香川がネットで叩かれていますね。
本田と香川は最初から外しまくっていた印象が強く、最後のPKでその印象を完全に固定してしまいました。
立場的にも叩かれるのはしょうがないのかなと思います。

今回もまた、無駄に体育学部(しかも国立つまり税金で)で勉強してきた僕がアジアカップと日本サッカーを振り返ります(笑)

アギーレ監督は続投が決まりました。

今回採用された4-3-3というシステムは、相手が弱いということもありますが、わりとよくハマっていて、どの試合もチャンスを数多く作っていたので、まあ打倒かなと思います。

4-3-3は、アギーレがいたスペインではごく一般的なシステムですが、灯台とも暗しというか。

日本代表の4-2-3-1は、人材不足から常にワントップが浮いていましたが、だったらワントップはやめてしまおうという感じですかね。

左に偏りすぎていた攻撃も、左右バランスが良くなりましたし、遠藤の縦のパスも入れやすくなりました。
香川の守備負担が大きくなりましたが、そこは香川への期待だと思います。

遠藤と香川の両方が上がった時、中盤の守備が長谷部だけになってハラハラする場面もありましたが、そこは相手が下手だったためにあまり目立ちませんでした。


そう、下手なんですよ、相手が。
他チーム同士の試合も見ましたが、豪州、韓国を含めても、日本のレベルは頭ひとつ余裕で抜けています。

日本35本、UAE3本のシュートで、結局得点1対1。
失点時の緩さももちろん問題ですが、やっぱりシュート35本で1点ですよね、気になるのは。


 今回外しまくっていた香川。
コースを狙うと外れる、安全に蹴るとキーパーの正面。

19歳だったか、20歳だったか、南アフリカW杯に練習要員で帯同。
そして翌年、つまり前回のアジアカップで決めまくっていたときと比べて対照的な姿でした。

あの頃と比べると、いい意味での「あそび」が全くありません。
立場の違いという精神的理由もあるでしょうし、試合に出ていないため試合感の不足もあるでしょう。

その他、体格の変化もあると思います。
20歳位までの細くて軽い身体でできることと、25歳の強い体でできることは違います。

本田は様々な理由でプレースタイルを変えてきました。

香川は、いい時のイメージを取り戻すようなアプローチをするのか、プレースタイルに修正を加えるのか、どちらでいくのか興味があります。
個人的には、後者であってほしいと思います。
19歳の体格はもう手に入りませんから。


日本サッカーの方向性について。

プレースタイルに関しては、これまでの方向性でいいと思います。

修正点は個のレベルです。

いくつか足りない点を挙げていきます。


1.5分5分のボールをもっと取る。

僕がざっくり見ていた印象ですが、今大会イーブンボールを拾えたのは、たぶん4割いくかどうかだと思います。
ポゼッションが6~70%というくらい主導権を持っていれば、次にボールがどちらに転がるか予想しやすいはずなのですが、それにも関わらず4割というのは異常な数字です。(あくまで僕の印象ですが汗)
これがとれないのは、何が足りないんでしょうかね。


2.技術を高める

当たり前過ぎて申し訳ない。
でもコレ重要です。
はっきりいって、チャンスを作るまでの技術と、シュートを決める技術は決定的に精度が違います。
以前、レアルの練習をテレビで見ていた時に驚いたのですが、アーリークロスに対して、誰もがダイレクトボレーを当たり前のように枠に飛ばしていました。
スーパープレイと言われるプレイを普通にやる。
日本の育成の現場を知りませんからなんとも言えませんが、戦術に割きすぎているというのはないでしょうかね。


3.筋トレをする

これも当たり前すぎて、当たり前にやっていると思いますが。
錦織圭は去年と今年で体格が違います。
これまでも当然フィットネスコーチをつけて体づくりはやっていましたが、その基準が錦織の認識とマイケル・チャンの認識では違っていたということでしょう。
基礎練習に厚みを持たせたこととの相乗効果で、プレーに安定感が生まれ、スーパーショットは当たり前の戦術的なショットになりました。
これはマイケル・チャンの経験からくるアドバイスだと思います。
彼がランキングをジャンプアップさせたとき、身長差を補うためにルール変更で許可された1インチ長いラケットと、それを扱うための筋力が大きな原動力となりました。
テレビで見ても分かるくらい一回り大きくなっていました。

また、ダルビッシュにしても、田中にしても、体つきの変化がそのまま技術の正確さにつながっています。
これは阪神金本やヤクルト宮本も同じことを話していました。
日本サッカーは、他の超一流どころの体づくりを取り入れる必要があるような気がします。
たぶん、サッカー界の筋トレへの認識は、昨年までの錦織圭のような感じだと思うんです。
やっているけど足りてない。
目指すは、このブログで以前紹介したチリのサンチェスです。
ちなみに、女子のフィギュアスケートももっと筋トレをすべきだと思っています。





2015/01/13

Nスペ、ニッポン空き家列島を見た。

今日は空き家の話。

2歳の子どもがいるので住宅購入には興味があります。

しかし、けっこうな人がすでに忘れているかもしれませんが、3年前に震災を経験していますし、産業が移り変わることもデトロイト市のニュースなどで知っていますし、そもそも僕自身、実家にいたのが5~18歳までのたった13年間だけなので、一箇所に30年ローンを組むリスクがおそろしくて仕方ありません。

そこで目をつけたのが、最近の社会問題として話題の空き家。
ネットなどである程度調べていました。

番組の内容を列挙すると、
・空き家を生む歴史的、政策的背景、とくにアホ(とは言ってませんが、明らかにアホ)な税制について。
・新築数はそれほど変わっていない。
・各自治体で人口の奪い合いをしている。
・郊外に広げるとインフラ整備が大変。
・中心部は空洞化し、治安が悪くなる。
・人がバラけると、介護サービスがカバーできなくなる。

といった内容で、やはりテレビなのであっさりしていて、とくに新しい情報は得られませんでした。

しかし、そこに出ていた出演者の方々、官僚、学者、地方公務員、芸能人、農家、無職高齢者、若い人、その他いろいろ一般人の発言は興味深かったです。

多くの一般の出演者はこういった問題に対し、「確かに問題だ、なんとかしないと」という立場でした。
そりゃそうでしょう。
 
僕がムカッときたのは、官僚(国土交通省)の発言。
「人々のニーズなんだから、郊外に住むのは止められないでしょう」

これがどうして頭にくるかといいますと、空き家問題の予備知識がないとちょっと説明が長くなります。

・どんなにオンボロで使用不可な建物でも、建っていれば資産税は安い。取り壊して更地にすると6倍になる→土地の再利用が回らない
・ 新築には補助金がつく。
・新しい橋や道路などのインフラ整備は公共事業として国から助成がある。修繕よりも地方自治体の負担は少ない。

これらの要素を総合すると、だいたいわかりますよね。
建て替え、住み替えではなく、宅地は外へ外へと拡大していきます。
番組の中で識者が「焼き畑的開発」と呼んでいました。
うまいこといいますね。

郊外に住むのは自由です。
問題は、それらインフラ整備費や補助金は、新築購入とは関係のない人々の税金だということです。
政策による明らかなインセンティブ(誘導)があるにも関わらず、政策を作る側の官僚が「ニーズだから仕方ない」というのは、今の流れを変えたくないと考えているのでしょう。

税金の流れは変えたくない、ということです。

まったく頭にくる話ですが、官僚がそういう考えならしばらく空き家問題は続くでしょうから、おそらく空き家の価格はもっと下がると思われます。

それにしても出演している一般人は、無駄な公共事業には多分反対するはずなのに、どうしてこういうところに寛容なのか不思議でたまりません。




 焼き畑的開発のほうが国からの補助があって地方自治体には楽だといっても、長い目で見ればそこだって修繕が必要な古い宅地になってしまいます。

自民党お得意のバラマキ公共事業で道路や水道がなんとかなるにしても、医療や介護など人的インフラはどうにもなりません。

いつまでも焼き畑を続けるわけに行きません。

そこで富山市は、国土交通省官僚とは反対の政策を実行しています。
どういうものかというと、市の中心部に移り住むように誘導しているわけです。

この取り組みに対して、一般の出演者の反応は興味深いものでした。

多くの人が、否定的な発言をするのです。
「住み慣れた土地で住みたい」
「農業ができなくなる」
「 引っ越してボケる老人が多くいる」

といった感じなのですが、一般出演者のこれらの発言は上記の空き家問題における発言と矛盾するだけでなく、そもそもそこに住むことは自由であるという当たり前の前提を無視して発言し続けているのです。

市の中心部への誘導といっても、もちろん郊外だろうがどこに住むのも自由で、憲法で保証されています。
しかしここで問題にしているのは、無医村がそうであるように「無いものは無い、そういう時代が来ますよ、さあどうするの」という話をしているのです。

これだけ丁寧に番組を進めているのに、問題の本質とは違うところで発言を繰り返す人々の姿をまざまざと見せつけられました。

これってなんなんでしょう。
税金の流れがわかりにくいからでしょうか。
とくに国債の発行額が予算の半分を占めるようになると、それは将来の誰かの財布のカネであり、自分の財布のカネがあの水道を作っているというのが見えにくくなります。
問題を問題として意識させない仕組みであると言え、先の衆院選の低投票率にも関係しているかもしれません。