2011/03/31

原発は安全にならないと思う



ホンマでっかでお馴染みの武田邦彦先生は、某民間企業でウラン濃縮研究所所長を務めていたそうです。
彼は「安全な原子力には賛成で、危険な原子力には反対」といつものように分かりやすい意見を言い、「原子力は技術的には安全だが、運用する人間の問題で危険になっている」と話しています。

運用する人間の問題。
これは絶対に解決しないので、原発は安全にならないと思う。

例えば女川と福島で想定している津波の高さが違うっていうのが意味わからないですよね。
設立前の会議で疑問に思った人もたくさんいただろうけれど、最初から決められている「流れ」を変えるわけにも行かなかったんでしょうね。


役人が行う様々な会議というのは、議論を繰り返してブラッシュアップするという意味の会議ではなく、「こういう様々な手順を十分に踏んできたから何かあっても我々の責任じゃないですよ」という免罪符づくりに過ぎないのだ。

手順を踏んだという証拠(つまり免罪符)は、膨大な会議録や資料として残される。
免罪符づくりにはかなりの時間が割かれてしまう。
そのシワ寄せで、国民が臨む現実的な、あるいは直接的・実際的なサービスはハッキリと低下する。
僕のいる病院でもそうだし、たぶん全国津々浦々の役所でもそうだろうし、学校の先生なんかもそうだと思う。

現場は対象者の声に応えて「もっとこうしたい」という気持ちがあっても、「もっとこうする」ためにはさらなる会議と免罪符を作る必要があり、つまりできません。
時間的に不可能。

利用者の声に孫正義さんが「やりましょう」って答えるようには絶対に行かない。

役人がやると上手くいかない、という事例は多々あるけれど、実際的なサービスよりも免罪符に時間をとられたり神経を尖らせているからなのだ。

彼らは大したサービスをしていないから暇なんじゃないかと思われるかもしれないが、実際は膨大な免罪符づくりでかなり忙しい。
そんな免罪符づくりに充実感を覚える人は少ないので、自然と笑顔は少なくなっていって、役所のカウンターでよく見る「無表情」となっていくのだ。
間違いない。

じゃあどうやって改善するか。
絶対に改善しない。←早過ぎるだろ!

それこそ割り箸で海をかき混ぜるようなものだ。

職員はすでに麻痺して何も感じていないか、なにか感じている人がいても、それぞれに生活があって、下からの突き上げはできないのだ。
そこは責めようにも責められない。
そして自分で生活できる人は、現実的だから割り箸で海はかき混ぜずに辞めて独立する。

原発はそんな組織で作られていくのだから、理論的に安全でも、絶対に安全になることはない。
それが震災後、原発に対しての、僕の意見。
もう手遅れかもしれないけれど。

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